手術翌日・翌々日 [口腔底がん]
2008/6/7-8
翌日になると、太ももの付け根から入っていた管がとれ、
点滴液の数もだいぶ減った。
担当の先生が様子を見にきてくれて、
「苦しい?大丈夫? 今日と明日と安静にして、絶対に首を動かしちゃダメだからね」と。
(この苦しいのが、2日続くのかぁ。時計が早く進まないかなと思った。)
「月曜日には、車いすに乗って診察室まで来てね」
(えっ!? こんなに体が動かせない状態なのに、月曜日には起きて診察室まで行くの!?
無理だよ。それは。。と思ったけど、先生がそういうなら、やってみましょう)
とにかくあと二日。。辛抱だ。しかし、時計が進むのがおそーい。
この病室だけ、時空間が遅くなっているんじゃないだろうか。なんて思ったりもした。
おばさんがお見舞いにきてくれたようで,花が置いてあったそうだ。
首を動かせないから、見られない
うとうととして、ふと人の気配を感じて誰だろう?と思っていると、部長先生だった。
目がさめるまでじっとみていてくれたのかな。忙しいのに申し訳ないな。
「腫瘍は全部きれいに採れたから。前歯も残っているし、顎の骨も残っているから、安心してね」と。
取りきれなかったらりしたらと、考えなかったわけではないけど、やはり直接聞くとホッとする。
あとは、首の血管と,痰による肺炎の心配と、褥瘡の心配と。
でも、我慢して動かないように体を固くしていたら、だんだんと首の後ろや背中や腰が痛くなってきた。
枕の位置を少し変えて、首の下までくるようにしてくれたら、首の痛みは楽になった。
手術翌々日。顔はまだ腫れた状態。腰の痛みがピーク。
文字盤を使わしてくれるようになったのだけれども、
ド近眼の私には、その文字が見えない。
立っている看護師さん、横になっている私。文字板の向きも上を向いていて、もう感で、指をあてて、会話をした。
発音してくれる文字板があったら、下向きにしても看護師さんに音声は通じるから、
そういう文字板が欲しいな~と思った。
翌日になると、太ももの付け根から入っていた管がとれ、
点滴液の数もだいぶ減った。
担当の先生が様子を見にきてくれて、
「苦しい?大丈夫? 今日と明日と安静にして、絶対に首を動かしちゃダメだからね」と。
(この苦しいのが、2日続くのかぁ。時計が早く進まないかなと思った。)
「月曜日には、車いすに乗って診察室まで来てね」
(えっ!? こんなに体が動かせない状態なのに、月曜日には起きて診察室まで行くの!?
無理だよ。それは。。と思ったけど、先生がそういうなら、やってみましょう)
とにかくあと二日。。辛抱だ。しかし、時計が進むのがおそーい。
この病室だけ、時空間が遅くなっているんじゃないだろうか。なんて思ったりもした。
おばさんがお見舞いにきてくれたようで,花が置いてあったそうだ。
首を動かせないから、見られない
うとうととして、ふと人の気配を感じて誰だろう?と思っていると、部長先生だった。
目がさめるまでじっとみていてくれたのかな。忙しいのに申し訳ないな。
「腫瘍は全部きれいに採れたから。前歯も残っているし、顎の骨も残っているから、安心してね」と。
取りきれなかったらりしたらと、考えなかったわけではないけど、やはり直接聞くとホッとする。
あとは、首の血管と,痰による肺炎の心配と、褥瘡の心配と。
でも、我慢して動かないように体を固くしていたら、だんだんと首の後ろや背中や腰が痛くなってきた。
枕の位置を少し変えて、首の下までくるようにしてくれたら、首の痛みは楽になった。
手術翌々日。顔はまだ腫れた状態。腰の痛みがピーク。
文字盤を使わしてくれるようになったのだけれども、
ド近眼の私には、その文字が見えない。
立っている看護師さん、横になっている私。文字板の向きも上を向いていて、もう感で、指をあてて、会話をした。
発音してくれる文字板があったら、下向きにしても看護師さんに音声は通じるから、
そういう文字板が欲しいな~と思った。
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